幻の少年合唱団・クナーベンコアの呪縛










新しい元号に「」が決まりました。出典は万葉集です。過去247個が制定されていますが、漢籍ではなく、日本独自の国書から引用されたケース及び季語は初めてとみられています。

少年合唱が興ったのは我が国の歴史では昭和でした。それは教育の現場で培われており、代表的であるのが鉄腕アトムを歌った学校付きの少年合唱団です。残念ながら平成にかけ下降線を辿るものの、音楽的な魅力と系統は絶えず、今日も、私たちに訴えかけています。



・「初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」。このうち、「月」から「」を、「ぎ」から「」をとりました。



・特定の季語を暦に応用することは、五穀豊穣など四季折々(特に秋)との親性が高く、またその伝統を引き継いできた日本の国柄に相応しいのか、検証が求められます。循環する季節の時間軸と、建造物のように積み重ねていく元号の時間軸は異なるからです。


元号制定に携わる吉岡参与官は国会で以下の発言をしていました。「新たな元号の選定手続きにおきましては、元号に関し高い識見を有する者に候補名の考案を委嘱することとなります。その考案者は、国文学、漢文学日本史学または東洋史学等についての学識を有する方の中から委嘱することになると考えております」



・「俗用されているものではない」とする要件がありますが、はキラキラネームとしても一部名前に用いられています。



・懇談会メンバーを務めたのは作家・林真理子氏。この人選は異例です。以下、同氏コラムより。〈書棚から「日本古典文庫」の折口信夫訳『万葉集』上下巻を取り出した。 いつ買ったか憶えていないぐらい黄ばんだ本だ。その時々好きだった歌はページの端を折っていたのですぐにわかる



・1989年、小渕氏によって公表されたのが「平成」でした。このとき議題にのぼったのは「平成」「正化」「修文」の3案でありますが、 アルファベットの頭文字が「昭」の「S」と重なり、ほか2案は候補にすらなりえませんでした。



・「」は音で「レイ・ゼロ」とする意味合いも含まれることから、国書からの引用とともに制定前に記者会見などで繰り返し述べていた「新しい時代にふさわしい」と合致します。「」については「の日」を法制化するなどした改憲団体の影響でしょう。



従って実質的な議論はなかったとみられています。





一昨年4月、平成最後の少年合唱団として発足する運びとなっていたのがクナーベンコア少年合唱団。これは、ウィーン少年合唱団を模して国内の男子児童に「歌う機会」を提供するというものでしたが、オーディションの段階から定員に達しませんでした。


そもそも、ウィーン少年合唱に羨望の眼差しをもつ保護者・児童のニーズは一定度あります。世界のメディアから記事を書かれる その地位は将来性を鑑みても有為です。しかし、それは階層化に過ぎません。入団する為には語学はもっぱら、渡航費用を賄うだけの資金力が要ります。そして、それを用意する家庭しか入れさせることが叶わないからです。



ウィーン少年合唱団は市の裕福な児童たちが宮殿暮らしをしてきました。このことは民間とはいえ、近代社会において、中欧の伝統を継いでいった歴史的遺構を体現するものでありました。ステンガラスから陽が漏れる大聖堂で規則的に「祈る聖歌」を捧げるのなく、名物として旅する姿は、対外向けのブランディングに沿った役割と呼べます。ということは「前近代の象徴」こそ存在の意義付けであったのです。

翻って今は、旧支配層(前近代)に対し、財を得た新興資本・家(近代)がそれと同等の地位を要求する19世紀的現象がみられます。

ウィーン市に生まれ、名家で、金髪という封建制度が、「カネ」に取って替わったのです。



クナーベンコア少年合唱団は裕福な家庭に「ふさわしい地位」を与えられないから破綻したのでしょう。これは、新国立劇場でのオペラ公演をするTOKYO FM少年合唱団との相違点でもあります。


歌うなら自宅や学校で間に合っている。
既存の少年合唱団だってある。つまり、羨望させる場を提供しなければならなかったのです。


このことは令和にも当てはまるでしょう。